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高田渡/略歴と作品

岐阜県北方町で4人兄弟の末っ子として生まれる。父、高田豊は詩人だった。

8歳の頃母が亡くなり父は4人の息子たちを連れてれて上京、深川に’移りすむ、生活は非常に貧困だった。

渡は中学を卒業すると夜間高校に通いながら’仕事をした。

兄の影響で中学の頃から洋楽に親しみウディ・ガスリー、ピート・シーガーなどアメリカのフォークソングを聴き興味を持つ。仕事先でバンドに誘われウクレレを担当。

 

17歳、初めてギターを手に入れ、自作の曲を作り始めるが次第に山之口貘金子光晴らの現代詩をアメリカの曲にのせる曲作りを始める。

 

19歳、テレビ番組で「自衛隊に入ろう」を歌い注目を集め衝撃を与える。

​第三回フォークキャンプ(関西)に遠藤賢司や六文銭、南正人らと参加し後に友人となっていくるミュージシャンにも影響を与える。

20歳、​高石事務所が運営するURCレコードから『五つの赤い風船とのカップリングアルバムでレコードデビュー。

汽車が田舎を通るそのときLPと「大・ダイジェスト版 三億円強奪事件の唄」「転身」「自衛隊に入ろう」をシングルリ​リースする。

第2回全日本フォークジャンボリー(中津川)に出演。キングレコード、後のベルウッド創立者、三浦光紀氏にレコードを出さないかと持ち掛けられる。

京都から東京三鷹に移り住む。吉祥寺周辺の音楽仲間と「武蔵野タンポポ団」を結成し第三回フォークジャンボリーに出演。

キングレコードに所属しLP『ごあいさつ』をリリース。

高田渡主演のドキュメンタリー映画『吉祥寺発赤い電車』が製作され、全国各地で自主上映される。

​同年『系図』アルバムリリース、『武蔵野タンポポ団の伝説』アルバムリリース。

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​『個人的理由』

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​『ごあいさつ』

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​『系図』

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​『武蔵野タンポポ団の伝説』

1949年

1966年

1968年

1969年

1971年

1972年

1962年

1970年

1964年

1973年

1975年

1976年

1977年

1983年

1986年

1989年

1991年

1993年

『石』アルバムリリース、現代詩を素材とするスタイルはそのままにジャズや戦前歌謡へのアプローチがみられ、デキシーキングスをフィーチャーした「私の青空}や父、高田 豊の詩に曲をつけた「火吹竹」も収録されている。

8月20日 息子、高田漣誕生

細野晴臣、中川イサトとロサンゼルスで録音。現地で偶然出会ったヴァン・ダイク・パークスや山岸史も参加。​

『もうひとつの伝説』武蔵野タンポポ団、1971年全日本フォークジャンボリー(中津川)収録ライブアルバムをリリース。​

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ロスアンジェルスで収録した『FISHIN' ON SUNDAY』をリリース。

 

佐久間順平、キヨシ小林、大庭珍太との四人編成「ヒルトップ・ストリングスバンド」での活動を始め日本各地をツアーする。

​​フォーライフ・レコードから、小室等のプロデュースにより、ヴァーボン・ストリート・ブルースをリリース。

『ねこのねごと』アルバムリリース。高田渡の奏でるオートハープから始まる「おじいさんの古時計」や新しくアレンジされ「石」、「さけがのみたいよるには」などが収録。

​ヨーロッパを40日ほど旅行し旅先で撮影した街角の写真は2021年出版「高田渡の視線の先に-写真擬-1972- 1979-」で見ることができる。

第四回全日本フォークジャンボリーが開催され若い世代の観客たちから唯一アンコールを求められた。

 

​大西功一監督の映画「吉祥寺夢影」に出演。​

『渡』アルバムリリース。ハウスシチューCM曲を担当。

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『石』

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『もうひとつの伝説』

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『FISHIN' ON SUNDAY』

『ねこのねごと』

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『渡』

1997年

​1998年

1999年

​市川準監督の映画「東京夜曲」の主題歌に、高田の『さびしいといま』が使われる。

大西功一監督の映画「とどかずの町で Northern Song」に主人公の父親役で出演。​

『よろん小唄ラッパ節』シングルリリース。

西岡恭蔵の妻で作詞家、KUROのトリビュート盤KUROちゃんを歌う』に「Good Night」で参加。

高田渡監修、佐渡山豊や大工哲弘とともに、山之口貘の詩を歌った楽曲をまとめたアルバム『貘』をリリース。

二枚組のライヴアルバム『ベストライブ』をリリース。小林政広の「海賊版=BOOTLEG FILM」の音楽と主題歌を担当。 
『Best Live』アルバムリリース
映画「海賊版=BOOTLEG FILM」音楽・主題歌を担当​

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さびしいといま』

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『よろん小唄ラッパ節』

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『貘』

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『BEST LIVE』

『日本に来た外国詩…。』リリース。

唯一のエッセイ集『バーボン・ストリート・ブルース』を刊行。

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高田の日常とライヴ映像を撮影したドキュメンタリー映画「タカダワタル的」が公開される。

『タカダワタル的』アルバムリリース.。

『高田渡トリビュート』アルバムリリース、親交の深いミュージシャンがたちが高田渡を歌う中、自身が歌う最後の新曲「調査節」収録録される。

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『日本に来た外国詩…。』

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バーボン・ストリト・                             ブルース』

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『タカダワタル的』

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『高田渡トリビュート』

2001年

2004年

4月3日、北海道白糠町でのライブ終了後に倒れ、隣の釧路市内の病院に入院

同月16日午前1時22分、入院先の病院で心不全により死去した、56歳。病床洗礼を受け洗礼名はパウロと。

葬儀のミサはカトリック吉祥寺教会で執り行われた。

小金井公会堂で開かれた「高田渡を送る会」では、多くのミュージシャンや俳優、アーティストたちがひとりずつ壇上に上がり、歌を歌ったり思い出を語った。
    

『高田渡 高田漣 27/03/03』リリース。

タカダワタル的』に続くドキュメンタリー映画『タカダワタル的ゼロ公開​。2001年の大晦日にザ・スズナリで行われた、泉谷しげるとのライブ映像が中心となっている。

さまざまな時期のライブ録音を収録したアルバム『高田渡、旅の記録 上巻』リリース。

高田渡、旅の記録 下巻』リリース

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『高田渡 高田漣 27/03/03』

​『高田渡的ゼロ』

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『高田渡、旅の記録 上巻』

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『高田渡、旅の記録 下巻』

2005年

2006年

2008年

2009年

キングベルウッドより『イキテル・ソング~オールタイム・ベスト~』アルバムリリース。   

高田漣・コーヒーブルースを歌う』アルバムリリース。

​高田漣により、高田渡が17歳から21歳にかけての日記『マイ・フレンド』が出版される。

2005年3月27日、東京・高円寺の居酒屋でライブを行った姿を追ったフィルム『まるでいつもの夜みたいに』公開。

写真集『高田渡の視線の先に-写真擬-1972-1979-  高田 渡(写真)/高田 漣(文) 出版。

2017年

2015年

2021年

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『イキテル・ソング~

        オールタイム・ベスト~』

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『マイ・フレンド』

『高田漣 ・

 コーヒーブルースを歌う』

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-高田渡歌まつり実行委員会-

 

ディレクター:佐久間順平  /コーディネーター:中川五郎  /  舞台監督:玉井まさじ  /  舞台助手:山本ひろみ

                             デザイン:沢田節子  /  WEBサイト制作:矢島恵 

 

              

  絵と描き文字:スズキコージ  / 音  響:小俣佳久 /   照明:田中めぐみ

お問い合わせ  takadawataru20@gmail.com

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